2018/06/30

新刊『僕は何度も生まれ変わる』発売



7月1日『僕は何度も生まれ変わる』(角川スニーカー文庫)発売です。
略称は「ぼくまれ」かな。「はもまる」とかでもいいけど。よくないかな。

イラストは、ファントムオブキルなどで有名なだーくろさん。

だーくろさんはフリーのイラストレーターさんではなく、
Fuji&gumi Gamesに所属していらっしゃいます。

ニトロプラスの方などがライトノベルの挿絵を描かれたりしてますけど、
比較的めずらしいケースなんじゃないかな。

担当編集者Mさんと「誰に頼もう」という話をしていて、
いきなり「だーくろさんでいきたい」と言われたときは正直、
「こいつ、正気か?」と思った。

どうやって依頼するんだとか、まあ会社に連絡するしかないんだろうなとか、
頼んでも受けてくれないだろうとか。まあ、考えるじゃないですか。普通。

Mさんはそのへん、ちょっと普通じゃない。

「無理じゃない……?」と僕が言っても、
「いや、青さんがオッケーなら頼んでみますよ!」
「……僕はそりゃあ、だーくろさんなら文句なんかあるわけないけど」
「じゃあ、いってみます!」

……とはいえ、ね。

ダメだろうと。
にべもなく断られるんじゃないのと。

「オッケーでしたよ!」
「うっそ、マジで?」
「マジです、マジ、マジ! いってみるもんですね!」

もちろん、交渉とか色々あったと思うんだけど。


で、だーくろさん。

もうね。めちゃくちゃうまい。



この画集の最後のほうにインタビューが載っていて。
美大を出られているとのことで、なるほどな、と。
いや、僕は素人なので、「何がなるほどなだバカヤロウ」と言われたら、
「そっすね……」としか返せないけど。

でも、本当にうまい。そして、「強い」。
一枚の絵にぐっと引きつけられる力が宿っている。
ラフを拝見しても、線がやっぱりいい。
キャラクターのデザインも、説得力があって。
シンプルでも、いい意味でちゃんとけれんみがあるし。

なかなか一緒に仕事させてもらえる機会はないと思うので、
できれば『僕は何度も生まれ変わる』が続刊可能なくらいに売れてくれて、
次も、あわよくばまた次も、みたいになってくれたら、と願っています。


「ぼくまれ」は、異世界転生物、ということになるんだろうけど、
転生ってことは一回生まれ変わって終わりじゃないよな……という、
ある意味、あたりまえの発想から生まれた物語です。

あと、僕はRPGと同じくらいSLGが好きなので、
そういう要素がある小説も書いてみたかった。

設定してある国が数十……50ヶ国以上か。
登場人物も多めです。
とりあえず、この1冊でも、50人以上の名前が出ちゃってる。

まあ、ほとんど名前だけとか、名前は出てくるけど、わりとどうでもいい、
みたいな子もいるし、Mさんに「わっかりづれー」と言われて、
なるべく情報量を落とす方向で直しまくったりもしたので、
読みづらくはない……(といいな)とは思うんだけど。

大勢出てくるってことを自慢したいんじゃなくて、うまくシリーズが続いたら、
だーくろさんが描く魅力的すぎるキャラクターがいっぱい見られるよ、
ということを言いたいんです。
現時点でも、けっこうな数のキャラクターを描いてもらってますが。

僕が気に入っているのは、アルノワとユイヒ・マクロバリかな。
あくまでだーくろさんが描くアルノワとマクロバリがってことですけど。
書く上では、みんなそれぞれいいと思っているので。
(いいところも悪いところもひっくるめて「いい」)


見たとおり巻数表示もないし、わりときれいにまとまっていたりもするし、
売れなかったらこれっきりかもしれませんけど、
先の展開も考えているので、繰り返しになりますが、なんとか売れてくれたらいいな。


というわけで、よろしくお願いします。


2018/06/28

7月1日発売『僕は何度も生まれ変わる』の連動購入特典小冊子


『僕は何度も生まれ変わる』特典の小冊子。

前々から、スニーカー文庫の担当編集者Mさんと、
新しいシリーズを立ち上げようという話をしていた。

ちなみに『薔薇のマリア』関連は別のWさんという別の編集者が担当している。
『ノラ猫マリィ』はWさんの仕事だ。

Wさんは入社前から『薔薇のマリア』を読んでくれていた人なので、
安心して任せられる。あと、知恵も借りられる。

ともあれ、『僕は何度も生まれ変わる』、
(長いので、以下「ぼくまれ」と呼ぶことにする)
新シリーズ立ち上げ時に限らないけど、昨今では新刊発売にあわせて、
当然のように購入特典としてSSを書く。

一部の版元では、原稿料みたいな形でギャランティーが支払われるらしい。
だけど、たぶん例外だと思う。
僕が知っている範囲では、たいていのライトノベル作家が、
「宣伝のため」という名目で、無償で書いている。

これが、なかなか大変だ。

お金がもらえないので気合いが入らないとか、
そういったことを抜きにしても、
(僕の場合、そこは考えないようにしている。
 考えてしまうと、書かないことにしよう、という結論になる。
 でも、色々な「事情」や「都合」があることは承知しているし、
 僕が書くのを拒否して板挟みになる担当編集者が気の毒でもあるので、
 本編の原稿に付随する仕事、と思うことにした)
ごく短い分量で何を書けばいいのか、毎回悩む。

書くからには、どうでもいい、つまらないものは書きたくない。
かといって、本編に影響を及ぼすようなものになってはいけない。
「限定」の特典である以上、読めない人もいるからだ。
あくまで、「おまけ」でなければいけない。
それでいて、それなりに楽しんでもらえるものを書きたい。

新シリーズのSSとなると、余計に難しい。
当然、読者はまだ主人公のことすら知らない。
物語の「隙間」だって少ない。

正直、書くことがない。


「ぼくまれ」の発売をグリムガル新刊にあわせたい、というのは、
けっこう前から担当編集者Mさんの頭の中にあったようだ。

彼はよく、
「ここ1年で発売した××レーベルの新シリーズ××冊中、
 重版かかったの何冊だと思います?」
といったクイズを僕に出す。

このクイズの「正解」は毎回、衝撃的な数字だ。
新シリーズのプロモーションは非常に難しい。
こうすればいける、という鉄板的な方策は存在しない。

実は、「最近は」そうなのではなくて、昔からさして状況は変わらない。
もともと、ライトノベルで新シリーズを売るのは困難だった。
唯一、「新人賞」でブーストをかけるのはまあまあ有効だったけど、
これも当たり外れがあった。

くわしく調べればわかる。
何作ものシリーズを当てている作家がいったいどれだけいるだろう。
「いや、いるでしょ」と思う人もいるかもしれないけど、
是非、実際に数えてみて欲しい。
そういうすごい作家も中にはいるが、実数は非常に少ない。
ヒットシリーズを何本も生みだしている大先生は、例外中の例外だ。


そもそも、新シリーズ立ち上げは分の悪い博打なのだ。
だけど、そこをクリアしないと先には進めない。
機銃掃射の中に突撃するようなものだ。
(ただ、「なろう」などのウェブ発小説は「ヒット作を書籍化」するので、
 最初から機銃掃射をくぐり抜けている。出版社が飛びつくのは当然だろう)

1巻発売して重版がかかれば、おそらく3巻くらいまではいける。
でも、重版1回だと、その先はあやしい。
1巻が複数回重版されて、2巻、3巻、4巻……と続刊される、
という状況を、仮に成功だとしよう。

続刊前提のウェブ発小説を除外したら、成功する確率は……1割?
そんなにない。たぶん1桁%だ。5%もないんじゃないかな。
3%か。ひょっとしたら、2%くらいかもしれない。
(たしか、最近聞いたあるレーベルの数字がそれくらいだった。
 レーベルにもよるだろうし、変動もあると思うが)


もちろん、編集者としては、何としても成功させたい。
僕たちのような作家にとっては死活問題だから、
(編集者は本が売れなくても首を切られることはない)
それ以上に成功を求めているわけだけど。


Mさんは、グリムガルとの連動、という方法を考えた。

そして、『薔薇のマリア』SS、という手も。


今、『薔薇のマリア』を読みたい人が、どれだけいるのか。
そんなに多くはないだろう。
でも、すごく多くはなくても、確実にいる、というのが重要だ。
数人、数十人、数百人を、少しずつ少しずつ、かき集める。
そして、なんとかしてある程度の「数」まで持ってゆく。
そういう戦術だ。


ちなみにMさんは、もっと大きい「数」を狙った勝負もできるし、
本来的にはそっちのほうが得意なのだろうと思う。

ただ、ライトノベルでは、この「大きな数」がどうもわからない。
「次はこれが来る」という話はあまり当てにならないし、
「これが当たったか!」という例もめずらしくない。
(あくまで、作品の良し悪しではなく、題材を問題にしている。
 当たらなくてもすぐれた作品は本当にたくさんある)

あるいは、ライトノベル自体、わりと領域が狭く、最大数が多くないので、
「ライトノベルとして通用するライトノベルを出す」時点で、
「大きな数」を狙った勝負をしていることになるのかもしれない。

本当は「The ライトノベル」を送りだすべきなのに、僕を含めた作家たちは、
「ライトノベル’」、「ライトノベル’’」、「ライトノベル+」、
みたいなものを書くから、少数にしか刺さらないのかもしれない。

いずれにせよ、新シリーズ立ち上げはきわめて難しい。
それでも、なんとか成功させようと、みんな知恵を絞っている。


以上は、『薔薇のマリア』SSの、新シリーズの「施策」としての側面だ。


読み物としては、……何を書こうか、迷ったというより、困った。

「薔薇マリ」は完結している。
その後、『ノラ猫マリィ』を書いた。
これは続編ではあるけど、とはいえ独立した物語だ。
僕の中で、薔薇マリはある場所に着地して、基本的にはもう動かない。

書くことがない。まったく思い浮かばなかった。
少なくとも、「書きたいこと」は、僕にはない。
(たくさん時間をかけ、薔薇マリを読み返すなり何なりして、
 じっくり考えれば、何か出てくるかもしれないけど、そんな余裕はない)


そこで、Wさんの力を借りた。

彼女は編集者になる前、薔薇マリの読者だった。
僕は彼女に尋ねた。「何が読みたい?」と。
書きたいことがないのであれば、読みたい人が読みたいものを書けばいい。


つきつめると、僕は自分が書きたいものしか書かない。

いや、最近、発見したのだけど、「小説」以外ならそうでもないようだ。


一人でつくるものは、自分が書きたいものしか書けない。

でも、誰かと協同でつくるものについては、欲しい、と思われ、
これだよ、と言ってもらえるものを書くのも、それほど苦痛じゃない。
(まったく苦痛ではない、と言ってしまうと嘘になる。
 なぜなら、「書く」ことには、いずれにせよ、幾ばくかの苦痛が伴うものだから)


薔薇マリは着地して、すでに僕の手を離れている。
だから、薔薇マリを書くとしたら、読む人のために書く。
それでいいんじゃないか。


今回の薔薇マリSSは、そんなふうにして書いた。

次にまた薔薇マリを書くことがあったとしたら、
やっぱり同じように書くんじゃないかと思う。


ところで、ぼくまれ連動購入特典のSSは『灰と幻想のグリムガル』のものもある。
グリムガルはまだ終わっていない物語だし、SSも自分が書きたいものを書いている。

僕はなかなかいいお話だと思っているのだけど、どうだろう。


2018/06/25

新刊『灰と幻想のグリムガル level.13 心、ひらけ、新たなる扉』発売



『灰と幻想のグリムガル』13巻が本日6月25日発売となりました。

くわしくは、こちらをどうぞ。
今回は、ドラマCD付き特装版もあります。

よろしくお願いします。


ブログで宣伝なんかしてもしょうがないだろうし、以下は雑談です。


例によって、ハルヒロたちはまだオルタナに帰りついていません。

これはね。千の峡谷の場所がよくなかった。オルタナから遠すぎた。

僕は小説を書くとき(まあ、小説にかぎらないか)、
ファンタジーでも現代物でもたいてい地図を作るんだけど、
手描きした下絵をスキャンして適当にいじったり、
イギリスだかどこかの地図製作専用のソフトを使ったり、
作り方は様々で。

グリムガルは、唯一、Excelで作ってみるという馬鹿な真似をしたんです。
一応、理由はちゃんとあって。
ある地点とある地点との距離を、地図からそれなりの精度で出そうとすると、
従来の(僕の環境における、という意味だけど)方法では難しかった。

用途からすると、ファミコン時代のRPGみたいなマップを作って、
1マス(?)が1㎞四方だよ、みたいな感じで充分なんだけど、
そういうソフトもぱっと見つからなかったし。

……じゃあ、Excelで1セルを1㎞四方ってことにして、
セルをめっちゃ小さくしたらどうかな。

と、思いついて、やってみたらもう引き返せなくなっちゃった。

もともと、グリムガルは地理関係、あえて曖昧にしていたんだけど、
(作りこむと、物語が地理に引っぱられちゃって、
 ソリッドになる傾向が僕の場合あるから、グリムガルではそれを回避したかった)
あるところまで話が進むとそうもいかなくなり、
必要に迫られて、地図を作るしかなくなったんです。
まあ、ようするに、そこそこ急いでいたので。

ちなみに、こんなやつなんだけど。初公開かな。



よく見えないでしょ。見せたくないんです。
僕はふだん、なかなか手の込んだ地図を作るんだけど、
グリムガルの地図は大雑把なので。ポイントだけおさえてある。

下の方にごちゃっと地名が集まってるあたりがオルタナとかダムローとかで。
ワンダーホールも近い。すごく狭い地域で進んでいたのが、
遠くに飛んじゃったものだから、地図がないとまずい、となった。


余談だけど、実はアニメは、この地図を見ないでつくられています。
アニメでは、オルタナから海みたいなものが見えたりして、
海はずいぶん遠いんだけどなあ、と思ったけど、まあきれいだし、いいか、と。
監督にもよるんだろうけど、中村さんは「絵」優先のところがあって、
そのへんは僕も納得しています。きれいだったよね。アニメのオルタナ。

あと、小説の中では、漢字やカタカナらしき文字が使われていたりしますが、
(もちろん、設定にのっとっています)
アニメではあえて、独自の文字を作ろう、ということになった。
これも、中村さんが想定しているオルタナの景観に、
漢字とかカタカナの看板なんかがあったら、雰囲気が台無しになる、
という話があって、僕も、まったくそのとおりだね、と思ったから。

ともあれ、実際に地図を作ってみたら、オルタナはまさに「辺境」で、
かつて人間族の王国がひしめきあっていた地域からは遠く離れていた。
いや、わかってたんだけど、あらためて「うわ、遠っ……!」と。

これ、どうやってオルタナに帰るの? 帰れなくない?

……みたいなところから、8巻以降の展開が始まっていて。

もちろん、ハルヒロたちが千の峡谷に出たときから、
『僕の中では』道筋は見えてるわけだけど。

アニメがすばらしい作品になったおかげで、少なくとも、すぐに終わらせないと、
という流れにはならない感じだったから、そうなると、あれとこれを仕込んで、
ああなってこうなって最後はこう、といったあたりも決まってくるし。


僕はプロットを作らない、何も考えないで書きはじめる、といったようなことを、
まあ、自分で言っているわけだから、そうなんだ、と思われてもしょうがないけど。
そんなわけない。

プロットは作らないことが多い。でも、「memo」というファイルは毎回用意するし、
必要最低限のアイディア、いつか使えそうな思いつき、各種設定なんかは、
そこにぜんぶ書いてある。

ただ、いざ原稿を書きはじめたら、それはあくまでメモでしかない、と思うようにする。
忘れてしまうこともあるし、意識的に忘れようとすることもある。
準備段階で考えていたことって、実作上、もちろん役に立つこともあるけど、
害になることもあるんです。

たとえば僕も、考えに考えて、がっちりプロットを組んで、準備万端、
書いた小説というのもある。

そういう小説は、考えたとおりのものにはなる。
100点をとるべく用意して、100点のものにはなるんです。
だけど、それ以上には、まあならない。
そしてこれが重要なんだけど、小説には100点なんてない。
準備段階で僕が目指した100点は、べつに100点じゃないんです。
それは、誰かにとっては150点かもしれないし、別の誰かにとっては0点かもしれない。

でも、とにかく、出来上がったものは、僕が最初に想定した100点にしかならない。

さらに、100点のために用意して、100点をとるために書いてゆく作業というのは、
人によると思うけど、僕には苦痛でしょうがない。楽しめないんです。

なので、準備は準備、用意は用意として、当然、するけど、
原稿を書きはじめたら、できるだけそれらはなかったことにする。

だけど、0じゃないんです。
準備が無駄になるわけじゃないし、準備しないと、やっぱり書けない。


どの程度、準備して、原稿を書き進めていく上で、どの程度、それらを無視したり、
歪めたり、跳び越えたりしてゆくか。毎回、試行錯誤している。

ただ、これは本当に、あくまで僕の場合だけど、
しっかり準備して、計画通り進めるのは、まったくおもしろくないし、
そうしてできあがったものも、僕にとっては、
(他の人にとってはそうじゃないかもしれない、それがまたおもしろいところだけど)
あまりいい小説ではない。


僕は安定感のない小説家だと思う。
性格がねじくれているので、いいね、その球、次もここにズドーンと放って、
と言われると、ちょっと遠くにふわっとした球を投げたくなる。
それでも、読んでくれる人を楽しませようとしてはいるので、
楽しめなかった人には、ごめんね、とは思うけど、
自分のやり方を変えることは絶対にない。

小説を書く、物語をつくる、というのは、
僕の、僕だけの、かけがえのない、たった一度きりの人生の、
限られた時間を使って、何もない真っ暗な穴の中であがくように、
馬鹿みたいに悩んだり、苦しんだりしながらも、そうしているときだけ、
どうしようもないむなしさから逃れられる、僕の、死ぬまで生きるための、
細い、細い道だから。

そんな僕のつくった小説、物語で、喜んでくれる人がいるのは、
すごいことだと思う。でも、僕は喜びを感じない。
何であれ、僕は喜びというものをほとんど感じない、つまらない人間だ。

だから、他の全ての事柄と同様に嬉しくはないけど、そういった人たちのおかげで、
僕は毎日、小説を書き、物語をつくり、それだけで生きてゆけているので、
とても感謝している。

僕の小説を読んで、気分を害したり、つまらん、金や時間の無駄だった、
と感じた人たちには、期待に添えなくてすまないとは思うけど、
読んでくれて、ありがとう。
ともあれ、読んでもらえないことには、何も始まらないから。
もしかすると、僕の本は二度と読んでもらえないかもしれないけど、
幸いなことにこの世界には、あなたの期待に応えて、あなたを最高の気分にする、
そんなすてきな物語が、たくさんある。


僕の物語が、誰かの物語でありうる、だから、僕は今日も生きている。


もし、そうでなければ、僕はきっと、とっくに死んでいた。

冗談じゃなくて、かつての僕は、生きることに希望なんか持っていなかったし、
未練もなかったから、いつか自暴自棄になって、くだらない死に方をしていただろう。

「あなたの小説を読んで、死ぬのを思いとどまった」という手紙を、何度かもらった。
心の底から、よかった、と思えた。

僕は「物語をつくる」ことに出会って、救われた。
死にたくない、と思うほどに。


それでも、僕はいつか、死ななきゃいけない。

僕らはみんな、死んでゆく。


最後の物語のことを、よく考える。
これが最後と知らずに、僕は最後の物語を綴るのか。
それとも、覚悟の上で?


2018/06/04

ロッキンユー!!! 1



『ロンキンユー!!!』1巻を読んだ。

すがすがしい。かわいい。一気に読める。

それなりに他人とうまくやってきた系の男の子Aが、
一匹狼の偏屈なロック大好き男の子Bと出会って、
ロックに目覚めて、バンドやろうぜ、みたいな話なんだけど、
そこで、Bの音楽を広めたいんだ、がAの動機というのは、今っぽい。

お話が進めば、この先またいろいろ変わってくるのかもしれないけど。
そのへんも含めて、続きが読みたい。

音楽が好きな人には是非読んでほしいマンガだ。


音楽マンガには定番的な表現方法があって、
具体的には、音楽自体を直接的に表現するより、絵で感じさせる。
ハマると、絵しか描かれていないコマを追っているだけで、
音が聞こえてくる。これは感動的な体験だ。

でも、このマンガでは文字を効果的に使っている。

作中で初音ミクの曲が出てくるけど、
ひょっとしたら動画時代の表現なのかもしれない。

僕は動画世代ではないけど、すごく響いた。

鬼滅の刃 11



『鬼滅の刃』11巻を読んだ。

僕はこのマンガ、始まったときから大好きで、
絵も、ストーリーも、キャラクターも、すばらしいと思ってたけど、
少年マンガの文法にそっていつつ、独特なところも多々あるので、
無事アニメ化までいってくれるかという点では、不安もあった。

でも、このマンガは、図抜けている。
センスいいな、ユニークだな、というマンガは数あれど、
抜群、格別、というところまでは、なかなかいかない。
それに、根っこの部分、とくに感情描写に、普遍性がありながら、
突き抜けている。

この、普遍性があってかつ、突き抜けている、というのが、
意外と重要なのかもしれない。

『僕のヒーローアカデミア』なんかもそうだけど、
伝統的な少年マンガのラインを踏襲していながらも、
独自の色を持っている、そんなマンガがちゃんと出てくるあたり、
ジャンプマンガはやっぱり強い。


2018/05/27

月刊少年シリウス 2018年7月号



『シリウス』の7月号を読んだ。

というか、巻頭カラーのマンガしか読んでいない。
それだけが目当てで買ってしまった。

『ライドンキング』。

言わずと知れた『ゴロセウム』の馬場康誌さんの新作だ。



知らない人は読もう。全6巻。完結している。
函館が舞台で、観光名所も多数出てくる。
……破壊されたりもしているけど。

函館観光のお供に、是非。
あと、新撰組の土方歳三が好きな人にもおすすめ。
それから、プロレスファンにも。


そして、……プーチノフだ。
(プーチ●じゃない。)
(……似てるけども。)

このキャラがめちゃくちゃおもしろい。
あまりにおもしろすぎて、『ゴロセウム』では、
主人公たちを完全に食ってしまった。
それはそれで味わい深いと僕は思う。

とはいえ、物語的には、やっぱり強烈すぎたのかもしれない。
途中から……いや、登場したときから、かもしれないが、
彼は『ゴロセウム』という作品世界の敵役には収まりきらない存在だった。


そして、当然の帰結として、めでたく主人公になった。


……まあ、『ライドンキング』の主人公は、
プーチノフじゃなくて、プルチノフなんだけど。
なので、これからはプルチノフと呼ばなきゃいけないんだけど、
ここはあえて、

やった!
僕らのプーチノフが主人公(プルチノフ)になって、異世界転生してくれた!

と言いたい。


僕はマンガ雑誌を読まない。コミックスを買って読む。

しかし、どうしても『ライドンキング』の初回を早く読みたくて、
今号は買わせてもらった。

正直、今後はコミックスで読むことになると思うけど、
プルチノフの冒険を刮目して見届けたい。
その旅ができるだけ長くなるように、皆さんも読んでください。
ていうか読め。

2018/05/25

『僕のジョバンニ』(1)~(3)



『僕のジョバンニ』1~3巻を読んだ。

これはいい。

穂積さんは『さよならソルシエ』もよかったけれど、



なんというか、「関係性」を描く作家さんだと思っていた。

『僕の~』も、最初はその線の物語だということが強く示唆される。
ようするに、主人公と相手役の友情が才能とか何らかの要因によってこじれ、
互いの関係が変遷してゆき、ある結末(悲劇性を帯びた)を迎える、という、
みんなが大好きな(僕も好きな)タイプのアレだ。

ところが、そこからすっと違う方向に進んでゆく。
いや、軸が移るわけではないのだけど、物語がぐっと広がる。
「アレ」なタイプは、もはやそこに行きつくしかないという細い道を、
どうしようもなく進んでゆき、やっぱりそうだよな、と終わる。

でも、『僕の~』では、別の可能性が提示されて、
音楽と人生に彩られた、見晴らしのいい、
光の射す場所でストーリーが展開してゆく。

一方で、影も落ちていて、そっちに転びそうな匂いも残している。

いい意味で裏切られて、驚かされた。

とてもおもしろい。


今のところ、僕はハッピーエンドを予想しているけど、
どうなるだろう。楽しみだ。

2018/05/24

ゴールデンゴールド(4)



『ゴールデンゴールド』4巻を読んだ。

堀尾省太さんのマンガといえば、『刻刻』も独特だった。



絵柄も、もしかしたら、受けつけない人がいるかもしれない。
ホラーマンガ的な気持ち悪さがある。僕は好きだけど。

人間の裏側にべたっと貼りついていて、決してとれないようなものが、
表面に滲み出ているような、そんな絵だと感じる。僕は好き。

『刻刻』は暗めでストイックなストーリーだったけれど、
『ゴールデン~』は序盤コミカルな感じで、やっぱり不気味なんだけど、
これはちょっと読みやすいかも、と思った。ちょっとだけね。

でも、これは「欲」にまつわるお話だ。キツくないわけがない。

ただ、堀尾さんはそこをドライに描く。
ドライというのは、冷めているというのではなくて、
中立的に、ということだ。
良いとか悪いとか、価値判断を挟まないで、
変に感情的にならず、ありのままに描いてゆく。

よくよく考えてみれば、絵柄もまた、
マンガだからデフォルメされてはいるものの、
人間の特徴を、良くもなく、悪くもなく、
淡々と描きこんでいる印象がある。

鳥瞰的、という言い方もできるのかもしれないけど、
それはよりはもっと中に入っていて、
「色々な他者たち」を描いているだけではなく、
自分もまたその他者と同じ人間なのだという視点を感じる。

とてもおもしろいマンガで、すごい作品だ。

2018/05/23

はじめアルゴリズム(3)



『はじめアルゴリズム』3巻を読んだ。

これは、おもしろいというより、すてきなマンガだ。

今巻で主人公のはじめくんが、
「今の僕にはまだ見えていない世界がある…」
と呟くシーンがある。

数学を通して、誰も見ていない世界を見ること、
それを目指して歩む人たちの道のりに、安っぽい言葉だけど、
心が、いや、魂まで、震える。


僕はたぶん、そういう機会に恵まれていたら、
数学に夢中だったかもしれない、と思うことがある。

数学はとてもおもしろい。
生物学も、歴史学も、そこにあるものを対象としている。
でも、数学はあるものではなく、そこから抽出した概念を取り扱っている。
それが現実を敷衍する。
まさしく、見えていない世界を、数学によって見ることができる。

ただ、数学的な思考には、特殊な才能と、おそらくある程度以上の訓練が必要だ。
数学といわずとも、算数が苦手は人はけっこう多い。
これはちゃんと理由がある。
数は、自然数ですら「決まり」であり、実在しない。
そんなものを扱う、操作するとなると、
僕たちの生得的な思考力から外れた枠組みが必要となる。
それはやっぱり、訓練してゆかないと身につかないものだ。
そして、あったほうが便利ではあるものの、
なくてもなんとかなってしまうものでもある。

僕はせいぜい学校で習う程度の訓練しかしなかった。
また、数学が僕らに見せてくれる世界、その可能性に、
僕は大人になるまで、まったく気づかなかった。
これはすごくおもしろいんじゃないかと気づいたときはもう、
あまりにも遅かった。

もちろん、今からでも訓練することは可能だけど、
まだ誰も見ていない世界が見られるようになることは、
もはや絶対にありえない。
誰かが見つけた新しい世界を理解しようとするだけでも、
おそらく、猛勉強しないと無理だろう。
そして、僕は違うことに全精力を傾けているので、
残念ながら、そっちに力を向けることはできない。


ところで、あまり共感をえられないかもしれないが、
小説を書く、物語をつくることは、
どこか数学に似ているように、僕には感じられる。

見えていない世界が、物語をつくり、小説を書くことによって、見えてくる。


マンガという物語で、とてつもなくおもしろい数学を描いている、
この作品は、本当にすてきだ。

出てくる数式などは一切わからなくても全然大丈夫なので、
是非読んで欲しい。


2018/05/21

ノイズ【noise】(1)



『ノイズ』1巻を読んだ。

筒井哲也さんのマンガは、『マンホール』から読んでいる。



いい意味で、「いやなところ突いてくるなあ」と感じる。
ふつうはそっちを描くのに、うわ、そこを描くんだ、みたいな。
発想、展開で、意表を突いてくる。

きっと、たいていの人が気づいていないところや、
見て見ぬふりをしようとしているところ、隠したいところなどを、
よく見ている作家さんなのだろう。


この『ノイズ』も、あ、そっちに話を持っていくんだ、と驚いた。
そういうところを描くんだ。なるほど。興味深い。


筒井さんのマンガは映画みたいだ。そのまま実写にしちゃえそう。
無駄がない。かなりプロットが練られている。……と思う。
練ってないでこれを描いてるんだとしたら恐ろしい。

僕はあまり練らない。それはそれでよさがある。
けれども、練りに練って書けるものもある。
両取りしたいんだけど。なかなか難しい。

2018/05/18

リクドウ (16)



『リクドウ』16巻を読んだ。

ボクシングは言うまでもなく危険なスポーツだ。
死んじゃったりするし。

身を削りながら戦ってゆく過酷さに、
甘酸っぱくも生々しい青春の風味がうまくブレンドされている。
生々しさ度合いが、ちょっとありそうでないレベルなのがおもしろい。
でも、主人公とヒロインがありえないほどピュアな子たちなので、
生々しいのに微笑ましくも思える。

おもしろい。


……けれど、明るい結末が見えない物語でもある。


実際はリングで死んでしまうボクサーなんてそうはいないだろうけど、
記録や記憶に残るすごいチャンピオンでもひどい負け方をして、
それで引退、なんてことはざらにある。
網膜剥離などの怪我で辞めざるをえなくなることも少なくない。

(ボクサーを辞めたあと、芸能界で活躍する人なんかもけっこういるが、
 まさかマンガでそんな人生を描くわけにもいくまい。)

まさに、そういった一種の悲劇性が、
ボクシングの魅力の一つでもあるのだろう。


僕も、テレビで観る専門だけど、ボクシングは好きだ。
プロ団体がたくさんあったり、階級が細かすぎたり、
何よりも、マッチメイクの問題があったり、
それどうなんだと思うところは多々あるけど。


フィクションの題材としては、やっぱり強い。

それに、絵にすると(うまければ)、映える。

ただ、「ボクシング」が強すぎるのか、
ともすると、似たり寄ったりになりがちだ。


『リクドウ』はキャラや青春要素で差別化できているけど、
お話がボクシングメインになってくると、どうしても、
いわゆるボクシングマンガになる。それでも充分おもしろいけど。

で、そこに青春イベントが入ってくる。

いいんだけど、読み手が、
「もっとボクシングが読みたい」
モードになっているときだと、読み飛ばしたくなったりする。
それは「ボクシング」のストーリーがうまくいっているからなわけで、
つくる側からすると、これはけっこう悩ましいかもな、
なんてことを思ったりもした。


『グラゼニ』みたいな方向のボクシングマンガなんかも、
読んでみたい気がする。

重版出来!(11)



『重版出来!』11巻を読んだ。

よくある話だが、僕は「出来」を「しゅったい」と読むことを知らなかった。

音声で「じゅうはんしゅったい」と聞いたことがなかったし。
自著が重版されたことはあるけど。
たとえばその旨を電話なんかで教えてもらったとしても、
「重版決まりました」とか、そんな感じなので。


これはとてもおもしろいマンガだ。
題材とかいろいろあるんだけど、そんなことより、読後感がとにかくいい。


こういう「いやあ、いいもの読んだあ」とすっきりするようなお話、
僕はなかなか書けない。

いや、本格的にチャレンジしたことがないので、
もしかしたらできるのかもしれないけど、
挑まないってことは、苦手だという意識があるんだと思う。

読むのは好きだ。

というか、読むぶんには、僕はそれほど選り好みをしないので、
「こういうのも好きだ」というのが正確なところだけど。

でも、書くのは難しい。

技術的な問題というより、モチベーションなのだろう。
短編で一本、くらいなら精一杯取り組める気がする。
だけど長編はたぶんきつい。……正直、飽きる。


これは、だからどう、ということじゃないんだけど、
この種の読後感のよさ、心が動いてすっきりする感じというのは、
つきつめると、一つの「ある快感」に集約される気がする。
(それだけに一般性があり、広く、そして深く、人々に訴えうる。)

それは、少なくとも僕にとっては、たまにならいいけど、
頻繁に摂取していると、あっという間に「感じなくなる」部分だ。
どうでもよくなってしまう。

まあ、書き手としての僕は、手を替え品を替え、次々と、
「ある快感」をもたらすようなバリエーションを持っていない、
ということでもある。


読後感のいい小説を書きたい、という野望はある。
ちょっと挑戦してみたりもしている。


2018/05/17

猫ヶ原(5)



『猫ヶ原』5巻を読んだ。

完結してしまった。

終盤、もうちょっと尺があれば、という感もあったけれど、
描くべきことは描いたのかな、との印象。

猫たちの話だが、擬人化されていながら、
それほどかわいく描かれていないのがとてもよかった。


僕は猫と暮らして長い。

だけれど、猫がかわいいとはべつに思わない。
正直、かわいがってもいない。

ただ、好きか嫌いかでいえば、好きではある。

僕にとって猫は、愛玩する対象じゃない。

同じ生き物として、こういう生き方もあるんだなと思う。

眠たければ眠る。どれだけでも眠る。暴れたければ暴れる。
くっつきたければくっつく。いやなら離れる。
若いころは遊べ遊べとうるさかった。
年をとると、放っておいて餌だけよこせ、という態度。
そのくせ、寒い時期は布団に入ってきて添い寝を要求する。
邪魔だとはねのけると、やかましく鳴いて報復する。

まったく勝手なものだ。
ひるがえって、自分はどうなのか。


うちにはおあばあちゃん猫がいる。
遠からず死ぬだろう。彼女が死んだら寂しいだろう。

僕は彼女が死んだらもう猫は飼うまいと考えている。
でも、わからない。
絶対こうだ、なんて言えない。言う必要もない。

好きなように生きて、いつか死ぬ。

猫も人も、結局、それだけだ。

先生、好きです。(1)



『先生、好きです。』1巻を読んだ。

女性の漫画家さんらしい。

女子高生たちもファンタジーなキャラクターに仕上がっているが、
主人公の男性教師も女性が「かわいい」と思いそうな男になっている。

ただ、リアリティーがないかというとそんなことはなくて、
フィクション上、ないほうがいい要素をマスクしたり薄めたりしてあるが、
あるとおもしろい部分は匂う感じで意図的に残しているのか、
それとも、感覚的に残しているのか、天然で残っているのか。
まあそこまではさすがにわからない。

でも、いい塩梅なんじゃないかと思う。

これよりもっと生々しくなってしまうと、読みづらい。
自分で書くぶんには、生々しいほうが楽しいんだけどね。


このマンガはけっこうレビューがついていたので読んでみた。
ちょっと目に入ってしまったが、あんまり芳しくない評価も多めのようだ。

それ自体がどうということではないのだけれど、
あるものに否定的な感情を抱くとき、人は存外、
それが何に由来している感情なのか、わかっていないものだ。

たとえば、僕らのような仕事の者だと、
よくよく注意しなければならないのは「嫉妬」だ。

本当は賞賛すべき点がたくさんある作品なのに、
自分の未熟、非力、非才、等々を棚に上げて、嫉妬してしまう。
「何だ、こんなの、たいしたことない、ここも悪い、ここもだめだ」、
などと考えてしまう。それで、自尊心を守ろうとする。

これはとても厄介で、自分にそういうせこさがあるという前提で、
そこをさっぴいて作品を見るようにしないと、
正当に(極力、ということだけど)分析、評価できない。

それ以外にも、気分(だるいときに読んでも何だって楽しめない)だとか、
コンプレックス(見たくないものを見せられると頭にくる)だとか、
いろんなもの、とくに感情が、僕らの認識を大いに歪める。


感情は大事だ。僕らの人生に彩りを与えてくれる。

でも、感情はしばしば僕らを誤らせる。


個人的には、感情が何かの原動力になることは許容するが、
感情に基づいて物事を判断するのは避けることにしている。


2018/05/16

DEMON TUNE 1



『DEMON TUNE』1巻を読んだ。



『ブラッドラッド』もけっこう楽しかったけど、
僕は途中で脱落してしまった。


お馴染みの要素をブレンドして料理するという手法は同じ。
でも、個人的には「デモチュ」のほうが好みかな。


絵がいい。
うまく伝わらないかもしれないけど、
絵全体にポリシーがあるというか。
キャラクターはもちろん、背景、小物に至るまで、
この物語世界に相応しいものとしてデザインされて、
描かれている、みたいな。


アニメでもよくあるけど、一見、絵がうまそうでも、
実写の中にマンガ絵のキャラが浮いてる、みたいな、
そんな感じになっていることが多い。
ああいうのって、描いてる人も、見る人も、
気にならないんだろうか。
僕はとても気になる。

アクタージュ act-age 1



『アクタージュ』1巻を読んだ。

Amazonレビュー、けっこうな数がついている。
内容とか、星の数には、僕はほとんど興味がない。

ただ、大勢にレビューさせる力というものは、無視しえない。
なので、レビューの数が多いものは、なるべく買って読むことにしている。


このマンガには、読み手をぐっと引っぱりこむ表現力がある。

テキストは、悪くはないけれど、抜群という感じはしないので、
絵とか、コマ割りとか、ようするに演出力なのかなという気がする。

おもしろいマンガなので、続きが読みたい。


ちはやふる(38)



『ちはやふる』38巻を読んだ。

もう38巻か。

このマンガには本当にガツンとやられた。

こういうの、どうしたって自分にはできないから。
でも、これが広く深く響くっていうのは、よくわかる。
だけど、自分にはできそうにない。
いや、本当に無理なのか?
ぜんぶ賭けて、そこに集中したら、やれるんじゃないか?
まあ、やっちゃってる人がいる以上、そこに賭けるのも……。
できるかどうかわからないわけだし。
やりたいのかっていうと、違うし。

いろんなことを考えさせられた。

こういうタイプのお話は、どれだけおもしろくても、
僕はだいたい途中で飽きちゃうんだけど、
まだまだ楽しめている。すごいな。

しかも、最初の設計通り、そこだよなってところで、
ちゃんと物語を引っぱってきているし。

こういうのって、一生に一本なんだと思う。
二本はたぶん、つくれない。

自分が一生に一本だけつくりたいものは、
こういうものじゃないんだけど、
いいかげん、とりかからないと間に合わないかもしれないし……、
みたいな焦りも、なきにしもあらずで。