2018/06/28

7月1日発売『僕は何度も生まれ変わる』の連動購入特典小冊子


『僕は何度も生まれ変わる』特典の小冊子。

前々から、スニーカー文庫の担当編集者Mさんと、
新しいシリーズを立ち上げようという話をしていた。

ちなみに『薔薇のマリア』関連は別のWさんという別の編集者が担当している。
『ノラ猫マリィ』はWさんの仕事だ。

Wさんは入社前から『薔薇のマリア』を読んでくれていた人なので、
安心して任せられる。あと、知恵も借りられる。

ともあれ、『僕は何度も生まれ変わる』、
(長いので、以下「ぼくまれ」と呼ぶことにする)
新シリーズ立ち上げ時に限らないけど、昨今では新刊発売にあわせて、
当然のように購入特典としてSSを書く。

一部の版元では、原稿料みたいな形でギャランティーが支払われるらしい。
だけど、たぶん例外だと思う。
僕が知っている範囲では、たいていのライトノベル作家が、
「宣伝のため」という名目で、無償で書いている。

これが、なかなか大変だ。

お金がもらえないので気合いが入らないとか、
そういったことを抜きにしても、
(僕の場合、そこは考えないようにしている。
 考えてしまうと、書かないことにしよう、という結論になる。
 でも、色々な「事情」や「都合」があることは承知しているし、
 僕が書くのを拒否して板挟みになる担当編集者が気の毒でもあるので、
 本編の原稿に付随する仕事、と思うことにした)
ごく短い分量で何を書けばいいのか、毎回悩む。

書くからには、どうでもいい、つまらないものは書きたくない。
かといって、本編に影響を及ぼすようなものになってはいけない。
「限定」の特典である以上、読めない人もいるからだ。
あくまで、「おまけ」でなければいけない。
それでいて、それなりに楽しんでもらえるものを書きたい。

新シリーズのSSとなると、余計に難しい。
当然、読者はまだ主人公のことすら知らない。
物語の「隙間」だって少ない。

正直、書くことがない。


「ぼくまれ」の発売をグリムガル新刊にあわせたい、というのは、
けっこう前から担当編集者Mさんの頭の中にあったようだ。

彼はよく、
「ここ1年で発売した××レーベルの新シリーズ××冊中、
 重版かかったの何冊だと思います?」
といったクイズを僕に出す。

このクイズの「正解」は毎回、衝撃的な数字だ。
新シリーズのプロモーションは非常に難しい。
こうすればいける、という鉄板的な方策は存在しない。

実は、「最近は」そうなのではなくて、昔からさして状況は変わらない。
もともと、ライトノベルで新シリーズを売るのは困難だった。
唯一、「新人賞」でブーストをかけるのはまあまあ有効だったけど、
これも当たり外れがあった。

くわしく調べればわかる。
何作ものシリーズを当てている作家がいったいどれだけいるだろう。
「いや、いるでしょ」と思う人もいるかもしれないけど、
是非、実際に数えてみて欲しい。
そういうすごい作家も中にはいるが、実数は非常に少ない。
ヒットシリーズを何本も生みだしている大先生は、例外中の例外だ。


そもそも、新シリーズ立ち上げは分の悪い博打なのだ。
だけど、そこをクリアしないと先には進めない。
機銃掃射の中に突撃するようなものだ。
(ただ、「なろう」などのウェブ発小説は「ヒット作を書籍化」するので、
 最初から機銃掃射をくぐり抜けている。出版社が飛びつくのは当然だろう)

1巻発売して重版がかかれば、おそらく3巻くらいまではいける。
でも、重版1回だと、その先はあやしい。
1巻が複数回重版されて、2巻、3巻、4巻……と続刊される、
という状況を、仮に成功だとしよう。

続刊前提のウェブ発小説を除外したら、成功する確率は……1割?
そんなにない。たぶん1桁%だ。5%もないんじゃないかな。
3%か。ひょっとしたら、2%くらいかもしれない。
(たしか、最近聞いたあるレーベルの数字がそれくらいだった。
 レーベルにもよるだろうし、変動もあると思うが)


もちろん、編集者としては、何としても成功させたい。
僕たちのような作家にとっては死活問題だから、
(編集者は本が売れなくても首を切られることはない)
それ以上に成功を求めているわけだけど。


Mさんは、グリムガルとの連動、という方法を考えた。

そして、『薔薇のマリア』SS、という手も。


今、『薔薇のマリア』を読みたい人が、どれだけいるのか。
そんなに多くはないだろう。
でも、すごく多くはなくても、確実にいる、というのが重要だ。
数人、数十人、数百人を、少しずつ少しずつ、かき集める。
そして、なんとかしてある程度の「数」まで持ってゆく。
そういう戦術だ。


ちなみにMさんは、もっと大きい「数」を狙った勝負もできるし、
本来的にはそっちのほうが得意なのだろうと思う。

ただ、ライトノベルでは、この「大きな数」がどうもわからない。
「次はこれが来る」という話はあまり当てにならないし、
「これが当たったか!」という例もめずらしくない。
(あくまで、作品の良し悪しではなく、題材を問題にしている。
 当たらなくてもすぐれた作品は本当にたくさんある)

あるいは、ライトノベル自体、わりと領域が狭く、最大数が多くないので、
「ライトノベルとして通用するライトノベルを出す」時点で、
「大きな数」を狙った勝負をしていることになるのかもしれない。

本当は「The ライトノベル」を送りだすべきなのに、僕を含めた作家たちは、
「ライトノベル’」、「ライトノベル’’」、「ライトノベル+」、
みたいなものを書くから、少数にしか刺さらないのかもしれない。

いずれにせよ、新シリーズ立ち上げはきわめて難しい。
それでも、なんとか成功させようと、みんな知恵を絞っている。


以上は、『薔薇のマリア』SSの、新シリーズの「施策」としての側面だ。


読み物としては、……何を書こうか、迷ったというより、困った。

「薔薇マリ」は完結している。
その後、『ノラ猫マリィ』を書いた。
これは続編ではあるけど、とはいえ独立した物語だ。
僕の中で、薔薇マリはある場所に着地して、基本的にはもう動かない。

書くことがない。まったく思い浮かばなかった。
少なくとも、「書きたいこと」は、僕にはない。
(たくさん時間をかけ、薔薇マリを読み返すなり何なりして、
 じっくり考えれば、何か出てくるかもしれないけど、そんな余裕はない)


そこで、Wさんの力を借りた。

彼女は編集者になる前、薔薇マリの読者だった。
僕は彼女に尋ねた。「何が読みたい?」と。
書きたいことがないのであれば、読みたい人が読みたいものを書けばいい。


つきつめると、僕は自分が書きたいものしか書かない。

いや、最近、発見したのだけど、「小説」以外ならそうでもないようだ。


一人でつくるものは、自分が書きたいものしか書けない。

でも、誰かと協同でつくるものについては、欲しい、と思われ、
これだよ、と言ってもらえるものを書くのも、それほど苦痛じゃない。
(まったく苦痛ではない、と言ってしまうと嘘になる。
 なぜなら、「書く」ことには、いずれにせよ、幾ばくかの苦痛が伴うものだから)


薔薇マリは着地して、すでに僕の手を離れている。
だから、薔薇マリを書くとしたら、読む人のために書く。
それでいいんじゃないか。


今回の薔薇マリSSは、そんなふうにして書いた。

次にまた薔薇マリを書くことがあったとしたら、
やっぱり同じように書くんじゃないかと思う。


ところで、ぼくまれ連動購入特典のSSは『灰と幻想のグリムガル』のものもある。
グリムガルはまだ終わっていない物語だし、SSも自分が書きたいものを書いている。

僕はなかなかいいお話だと思っているのだけど、どうだろう。


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