2018/06/25

新刊『灰と幻想のグリムガル level.13 心、ひらけ、新たなる扉』発売



『灰と幻想のグリムガル』13巻が本日6月25日発売となりました。

くわしくは、こちらをどうぞ。
今回は、ドラマCD付き特装版もあります。

よろしくお願いします。


ブログで宣伝なんかしてもしょうがないだろうし、以下は雑談です。


例によって、ハルヒロたちはまだオルタナに帰りついていません。

これはね。千の峡谷の場所がよくなかった。オルタナから遠すぎた。

僕は小説を書くとき(まあ、小説にかぎらないか)、
ファンタジーでも現代物でもたいてい地図を作るんだけど、
手描きした下絵をスキャンして適当にいじったり、
イギリスだかどこかの地図製作専用のソフトを使ったり、
作り方は様々で。

グリムガルは、唯一、Excelで作ってみるという馬鹿な真似をしたんです。
一応、理由はちゃんとあって。
ある地点とある地点との距離を、地図からそれなりの精度で出そうとすると、
従来の(僕の環境における、という意味だけど)方法では難しかった。

用途からすると、ファミコン時代のRPGみたいなマップを作って、
1マス(?)が1㎞四方だよ、みたいな感じで充分なんだけど、
そういうソフトもぱっと見つからなかったし。

……じゃあ、Excelで1セルを1㎞四方ってことにして、
セルをめっちゃ小さくしたらどうかな。

と、思いついて、やってみたらもう引き返せなくなっちゃった。

もともと、グリムガルは地理関係、あえて曖昧にしていたんだけど、
(作りこむと、物語が地理に引っぱられちゃって、
 ソリッドになる傾向が僕の場合あるから、グリムガルではそれを回避したかった)
あるところまで話が進むとそうもいかなくなり、
必要に迫られて、地図を作るしかなくなったんです。
まあ、ようするに、そこそこ急いでいたので。

ちなみに、こんなやつなんだけど。初公開かな。



よく見えないでしょ。見せたくないんです。
僕はふだん、なかなか手の込んだ地図を作るんだけど、
グリムガルの地図は大雑把なので。ポイントだけおさえてある。

下の方にごちゃっと地名が集まってるあたりがオルタナとかダムローとかで。
ワンダーホールも近い。すごく狭い地域で進んでいたのが、
遠くに飛んじゃったものだから、地図がないとまずい、となった。


余談だけど、実はアニメは、この地図を見ないでつくられています。
アニメでは、オルタナから海みたいなものが見えたりして、
海はずいぶん遠いんだけどなあ、と思ったけど、まあきれいだし、いいか、と。
監督にもよるんだろうけど、中村さんは「絵」優先のところがあって、
そのへんは僕も納得しています。きれいだったよね。アニメのオルタナ。

あと、小説の中では、漢字やカタカナらしき文字が使われていたりしますが、
(もちろん、設定にのっとっています)
アニメではあえて、独自の文字を作ろう、ということになった。
これも、中村さんが想定しているオルタナの景観に、
漢字とかカタカナの看板なんかがあったら、雰囲気が台無しになる、
という話があって、僕も、まったくそのとおりだね、と思ったから。

ともあれ、実際に地図を作ってみたら、オルタナはまさに「辺境」で、
かつて人間族の王国がひしめきあっていた地域からは遠く離れていた。
いや、わかってたんだけど、あらためて「うわ、遠っ……!」と。

これ、どうやってオルタナに帰るの? 帰れなくない?

……みたいなところから、8巻以降の展開が始まっていて。

もちろん、ハルヒロたちが千の峡谷に出たときから、
『僕の中では』道筋は見えてるわけだけど。

アニメがすばらしい作品になったおかげで、少なくとも、すぐに終わらせないと、
という流れにはならない感じだったから、そうなると、あれとこれを仕込んで、
ああなってこうなって最後はこう、といったあたりも決まってくるし。


僕はプロットを作らない、何も考えないで書きはじめる、といったようなことを、
まあ、自分で言っているわけだから、そうなんだ、と思われてもしょうがないけど。
そんなわけない。

プロットは作らないことが多い。でも、「memo」というファイルは毎回用意するし、
必要最低限のアイディア、いつか使えそうな思いつき、各種設定なんかは、
そこにぜんぶ書いてある。

ただ、いざ原稿を書きはじめたら、それはあくまでメモでしかない、と思うようにする。
忘れてしまうこともあるし、意識的に忘れようとすることもある。
準備段階で考えていたことって、実作上、もちろん役に立つこともあるけど、
害になることもあるんです。

たとえば僕も、考えに考えて、がっちりプロットを組んで、準備万端、
書いた小説というのもある。

そういう小説は、考えたとおりのものにはなる。
100点をとるべく用意して、100点のものにはなるんです。
だけど、それ以上には、まあならない。
そしてこれが重要なんだけど、小説には100点なんてない。
準備段階で僕が目指した100点は、べつに100点じゃないんです。
それは、誰かにとっては150点かもしれないし、別の誰かにとっては0点かもしれない。

でも、とにかく、出来上がったものは、僕が最初に想定した100点にしかならない。

さらに、100点のために用意して、100点をとるために書いてゆく作業というのは、
人によると思うけど、僕には苦痛でしょうがない。楽しめないんです。

なので、準備は準備、用意は用意として、当然、するけど、
原稿を書きはじめたら、できるだけそれらはなかったことにする。

だけど、0じゃないんです。
準備が無駄になるわけじゃないし、準備しないと、やっぱり書けない。


どの程度、準備して、原稿を書き進めていく上で、どの程度、それらを無視したり、
歪めたり、跳び越えたりしてゆくか。毎回、試行錯誤している。

ただ、これは本当に、あくまで僕の場合だけど、
しっかり準備して、計画通り進めるのは、まったくおもしろくないし、
そうしてできあがったものも、僕にとっては、
(他の人にとってはそうじゃないかもしれない、それがまたおもしろいところだけど)
あまりいい小説ではない。


僕は安定感のない小説家だと思う。
性格がねじくれているので、いいね、その球、次もここにズドーンと放って、
と言われると、ちょっと遠くにふわっとした球を投げたくなる。
それでも、読んでくれる人を楽しませようとしてはいるので、
楽しめなかった人には、ごめんね、とは思うけど、
自分のやり方を変えることは絶対にない。

小説を書く、物語をつくる、というのは、
僕の、僕だけの、かけがえのない、たった一度きりの人生の、
限られた時間を使って、何もない真っ暗な穴の中であがくように、
馬鹿みたいに悩んだり、苦しんだりしながらも、そうしているときだけ、
どうしようもないむなしさから逃れられる、僕の、死ぬまで生きるための、
細い、細い道だから。

そんな僕のつくった小説、物語で、喜んでくれる人がいるのは、
すごいことだと思う。でも、僕は喜びを感じない。
何であれ、僕は喜びというものをほとんど感じない、つまらない人間だ。

だから、他の全ての事柄と同様に嬉しくはないけど、そういった人たちのおかげで、
僕は毎日、小説を書き、物語をつくり、それだけで生きてゆけているので、
とても感謝している。

僕の小説を読んで、気分を害したり、つまらん、金や時間の無駄だった、
と感じた人たちには、期待に添えなくてすまないとは思うけど、
読んでくれて、ありがとう。
ともあれ、読んでもらえないことには、何も始まらないから。
もしかすると、僕の本は二度と読んでもらえないかもしれないけど、
幸いなことにこの世界には、あなたの期待に応えて、あなたを最高の気分にする、
そんなすてきな物語が、たくさんある。


僕の物語が、誰かの物語でありうる、だから、僕は今日も生きている。


もし、そうでなければ、僕はきっと、とっくに死んでいた。

冗談じゃなくて、かつての僕は、生きることに希望なんか持っていなかったし、
未練もなかったから、いつか自暴自棄になって、くだらない死に方をしていただろう。

「あなたの小説を読んで、死ぬのを思いとどまった」という手紙を、何度かもらった。
心の底から、よかった、と思えた。

僕は「物語をつくる」ことに出会って、救われた。
死にたくない、と思うほどに。


それでも、僕はいつか、死ななきゃいけない。

僕らはみんな、死んでゆく。


最後の物語のことを、よく考える。
これが最後と知らずに、僕は最後の物語を綴るのか。
それとも、覚悟の上で?


2 件のコメント: